こんにちは。たかむーとX-T4です。
本日は、建国記念日の日ですね。
建国記念日の日とは、『日本が建国されたことを記念し、国を愛する心を養う日』として、1996年に制定されました。
この祝日を通して、日本の歴史と文化に改めて思いを馳せながらカメラ散歩を楽しんできました。
天気も良かったし🌞
場所は、松陰神社です📸
松陰神社は、自分が尊敬す歴史上人物のひとり『吉田松陰』が祀られているところです。
吉田松陰は、松下村塾という私塾を主宰し数々の若者を身分なんか関係なく教育してきました。その門下生の中には、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞、山縣有朋など明治維新を通して近代日本の原動力となった多くの逸材を輩出したことで有名です。
歴史に興味がない方も一度は名前を聞いたことある人ばっかりですね。
そして自分が吉田松陰に興味を持ったのは、松下村塾の教育方法です。
その教育方法は、『先生と呼ばせない姿勢』です。
門下生と対等に一緒に同じ目線で学問を学ぶという姿勢にとても興味が湧きました。
この吉田松陰の姿勢を20代に知った時に自分の【理想とする保育】がうっすら見えてきた思い出があります。
同じ目線という言葉は、今の保育で当たり前になってきていますよね。
あの身分の価値観や偏見が強かった時代に『同じ目線』という姿勢を貫いた姿勢はシンプルに凄いと感じました。
そんな吉田松陰の歴史や自分の保育を振り返りながら、X-T4と一緒にカメラ散歩を楽しんできました。
今回は、全て撮って出しです✨
X-T4の相棒のレンズは、単焦点レンズXF35mmF1.4 Rです。
単焦点レンズ XF35mmF1.4 R

こちらのレンズは、約10年前に発売されましたが、今でも通用する実力を持っています。通用するだけでなく、神レンズとも謳われています。
神レンズと言われる所以は、ざっくりですが以下の通りだと感じています。↓
- F1.4の明るさ、ボケ具合(背景や前ボケ)
- X-T4との組み合わせのビジュアルがカッコイイ!!
- シャッターを切っただけで納得のいく写真を量産できると感じている。
デメリットは、広角が物足りない、オートフォーカスが遅い、四角いキャップが取れやすいところです。
ボケ具合がめちゃめちゃ良いので、主体さえ決めればホントにシャッターを切るだけで作品っぽい写真になると個人的に感じています。次のレンズを探している人は、是非この神レンズをオススメします!!
なので、撮って出しでも充分楽しむことができます。スナップ写真など気楽に楽しむことをできるのもメリットのひとつです。また、気楽のため撮ってすぐにスマホに転送でき、すぐにSNSに写真を共有できるのもメリットのひとつです。
今回もみなさんと共有させていただきますので、良かったらご覧ください😊
はじめに

冒頭に【理想とする保育】がうっすら見えてきたなんていっちょ前のことを書かせていただきましたが、あくまで個人的なひねくれた保育士の意見です。先生と呼ばせている人を否定するつもりは全くないです。
保育士になりたての時にひとつの疑問が自分の中に靄としてずーっとありました。
それは、「自分はそんなに人生経験ないのになんで先生と子どもや保護者に先生と呼ばせているんだろう?」という疑問でした。
特に新人の頃なんか社会に出たばっかりの何も知らない小僧です笑
例えベテランになっても保育業界のことしかしらない視野の狭い大人になるだけです。
ましてや保育は長年続けてれば極められるものでもありません。
世の中には、様々な保育があり、凄い方たちがたくさんいます。
若い頃ひねくれた自分は(今でもひねくれてますが)、その疑問がずーっと頭の中にありました。
そんな中、『著者→司馬遼太郎:作→世に潜む日日』、『著者→童門冬二:作→吉田松陰』という作品に出会って吉田松陰という人物を知りました。
- 先生と呼ばせない姿勢(門下生は、学問を共に学ぶ友でありライバル)
- 正解がないグループワーク
- 身分なんて関係ない
- 塾なのに教科書がない
以上の姿勢や理念にとても感銘を受けた記憶があります。
そして、吉田松陰の出生地である萩にも一人旅にも行った記憶があります✈
松陰神社

世田谷区の松陰神社は、吉田松陰の墓と萩の松下村塾を模造した松下村塾があります。
場所は、東京都世田谷区若林4-35-1にあります。
最寄りの駅は、東急世田谷線松陰神社前です。
徒歩約5分くらいでした。
昭和の雰囲気を漂わせる商店街を抜けていくと着きます。
商店街は、オシャレなカフェなどがいくつかあり松陰神社に行った後とかにコーヒーを一杯やるのもいいかもしれません。
先生と呼ばせない姿勢

自分がなぜこの姿勢に感銘を受けたかというと、【異年齢保育】が好きだからです。
異年齢保育が好きな理由は、【主体性→生きる力】の経験ができるからです。
主体性とは、自分で考え判断し自己責任のことだと思っています。
そして、自分が考えている異年齢は0歳~6歳ではなく、0歳~大人までです。
大人も異年齢です。なので『先生』ではないです。
【大人も異年齢】と考えていた部分と、【吉田松陰の先生とは呼ばせない姿勢の中にある学問を学ぶ人はみな友でありライバル】というところが自分の中でマッチしました!!!!
また、スウェーデン、オランダに海外研修に行かせていただいたことがあるんですが、保育水準がトップクラス(当時10年前くらい)の保育の中でも『先生とは呼ばせていない』ようです。
大人は、同じ目線で共に学ぶ存在です。
それが自分の中の保育であり、それを表すひとつが『先生とは呼ばせない姿勢』です。
考えがマッチしてから頭の中の靄が晴れて、子どもと全力で遊んでいます。
『大人が遊びに入り過ぎると子どもの主体性が損なわれる』という意見もありますが、それは間違っていると思います。
大人も環境です。
子どもは、大人と充分に遊び満たされると勝手に離れていきます。
そして、自分たちで遊びを展開しようとする姿が見られます。
なので、自分が転職した時は『大人も一緒に遊ぶ』を重点に園を選ばせていただきました。
保育士は教育する立場ではないと個人的に感じています。
それが自分の理想とする保育です。
正解のないグループワーク

最近、増えてきている朝の会や帰りの会などの集まりの時にサークルタイムを取り入れる園が増えているように感じます。
自分がこの良さに気づかせてもらったのも吉田松陰の松下村塾で取り入れていた『なんとかなんとか』←名前忘れちゃいました(゚Д゚)ノ💦という方法です。
この『なんとかなんとか(名前忘れちゃいました💦)』という方法は、世の中のニュースなどをサークルタイムに持ち込みみんなで意見を出し合う経験です。
そこに正解はありません。
そこで門下生は様々な意見、価値観などがあることを実際に経験することで自分の知見を広げたり、対立してぶつかる経験もできます。
そのように自由に知見を広げることで、様々な逸材を輩出したことに繋がったんだと思います。
保育でも大人が正解を決めるのでなく、子どもたちと一緒に自分たちで考えて行動するプロセスをより重視するようになりました。
20代の頃に手段と目的をしっかり分けられることにも繋がりました。
身分なんて関係ない!!!

吉田松陰の学問を学びたい人を尊重していました。
そのため身分なんて関係なく公平に門下生と学んでいました。
高杉晋作は、家族から松下村塾に行くのを止められていましたがこっそり抜け出して通っていたそうです。
それだけ魅力的なところだったんですね。
塾なのに教科書がない

松下村塾には、「これを学びなさい」という教科書がありませんでした。
門下生が、自分が学びたい本を持参し、吉田松陰と一緒にその本について一緒に学んでいたそうです。
当時それを知った時に「教科書がないの凄っ!!!!!!」とめちゃめちゃ関心した記憶があります。
ホントに学問を学ぶ門下生を尊重していたんですね。
この【尊重する心】というものも改めて学ばせていただいた記憶があります。
白梅の香りに誘われて

境内には、白梅がこっそり咲いていました。
松陰神社でも春の訪れを感じることができます。
まとめ

今回は、建国記念の日ということで、こじらせ保育士が自分の理想とする保育を語りながら、松陰神社のスナップ写真を共有させていただきました。(あくまで個人の見解です。誰かを否定するものではありません)
自分は、保育の専門書よりかは歴史から保育を学ぶことが多いです。
そして、ひとり旅などに行って現地の方と絡みながら、楽しみながら人との繋がりの大切も学んでいます。
今後もカメラ散歩、同じ目線の保育を楽しんでいきたいと思います。
撮って出しでも『X-T4 × XF35mmF1.4 R』のカメラとレンズの組み合わせだと気楽に写真を楽しむことができると改めて感じました📸
今回も最後までありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
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