こんにちは。たかむーとX-T4です。
先日は、鹿児島旅行へ行ってきました。
鹿児島グルメの他に、知覧特攻平和会館にも行きました。
一緒に行った友人も戦争への興味が深いので、「戦争ってホントにクソだな!」、「特攻隊を考えた人頭おかしいんじゃないの!!!」などと悔しい思いを旨に見学しました。
また、特攻隊員の遺書や遺品などを見ながら涙も浮かんで来ました。
17歳~30代前半の若い人たちが特攻していた時代。
何を考え、何を思って、散っていったのだろう?
『散るために咲いてくれたか さくら花 ちるほどもののみごとなりけり』、特攻の母である富屋食堂のトメさんの短歌を旨に、特攻隊員の心情を想像しながら保育の大切さを改めて気づかせてくれました。
それは、無知は罪!です。
どういうことかというと、それは以下に書かせていただきます。
良かったら最後までご覧ください。(前半はめちゃめちゃ感情論になってますのでご了承ください💦💦)
レンズ
レンズは、携帯性と描写力を兼ね備えている単焦点レンズXF35mmF1.4です。
F値が1.4と明るいので室内でも充分撮れます。(知覧特攻平和会館は撮影できる場所が限られています)
以下のリンクにX-T4×単焦点レンズXF35mmF1.4の魅力を書かせていただいていますので良かったらこちらもご覧ください。↓
F値が明るいと夜でも撮れます。
携帯性が優れていると旅行にも最適です。
撮影の幅が広いのはとても嬉しいです!
はじめに
知覧特攻平和会館は、撮影できる場所に限りがあったので、後半は友人のポートレートを通して学んだことを書かせていただきたいと思います。
友人は、鹿児島グルメの投稿にも書かせていただきましたが、いじめ、大変な病気を乗り越えて、自分の力にし、今では保育士として福祉に貢献し、保育士の居場所作りなどのコミュニティを運営しています。
それが以下の投稿です。↓良かったらこちらもご覧ください↓
知覧特攻平和会館 ~怒りと涙なしではいられません~
知覧特攻平和会館とは、太平洋戦争中に『必死』の命令のもと、国のために平和のために敵艦に特攻で散っていった特攻隊員たちの真の姿を現代に伝えるためのところです。
当時の遺品、遺書などが掲示されています。特攻隊員や残された方たちの心情などを感じることができます。
このような真の姿を通して、命の大切さや尊さ、そして『二度とこのような悲劇を起こさせない』という情念も持っています。
怒りと涙なしでは見学できません。
最近は、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』の特攻隊の映画がありましたね。
他にも友人のオススメで『僕は、君のためにこそ死ににいく』、『男たちの大和』、『ラーゲリーより愛を込めて』などの戦争映画も観ました。
どの映画も共通しているのは、政府の連中や上官などに怒りがこみ上げてきます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
どの映画でも共通しているのは、「偉そうに命令するならてめーが特攻しろよ!!」、「精神論だけで行ける訳ねーだろ!!」、「なんでそんな作戦なの??!大和の良さを活かせてねーじゃん!!」などと、自分勝手で無能な命令に怒りが込み上げて来て何度かテレビの画面をぶん殴りそうな事がありました💦←ただの危ないやつですみません💦
ホントに政府や上官たちって、、、、、ウンコですよね。(もちろん良い上官もいました。感情的になってしまってすみません💦)
同調圧力って怖い・・・
ここは、『三角兵舎』特攻隊員の宿舎です。
各地からここに集まった隊員は、2~3日後には沖縄の海に散っていきました。出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙などをしたためて、出撃していきました。
ここに集められた人たちは、どんな思いだったのでしょうか?
もちろん、特攻隊に心から志願した方もいれば多くは同調圧力によるものでないしょうか?
特攻隊員の遺書や手紙には婚約者、母親、我が子、育ての親などに向けて書いています。
特攻隊員の手紙 ~お父さんはもうお馬さんになれません~
ある特攻隊員は29歳のお父さんでした。家族を残しての出撃命令。
出撃する前に最期の手紙を家族に残しています。
その内容は、「お父さんはもうお馬さんになれません」と我が子や妻に向けての手紙でした。
自分は死にに行く中で、最期の最期まで愛する家族のことを想っていたと思うと涙がとまりません。
きっと、妻と一緒に我が子の成長をもっともっと見たかったでしょう・・・
そして、残された家族は父親を戦争で亡くした傷を一生負っていくでしょう・・・
愛する人を残してホントに必死の作戦に自ら志願したのでしょうか・・・
知覧特攻平和会館にはこのような手紙がいくつかあります。
資料の中では、17歳の少年もいました。
最近見た『あの花で咲く丘で、君とまた出会えたら』で「自分から志願したんだ!」と21歳の主人公が強めにヒロインに言うシーンがありました。
このような映画のシーンや手紙や遺書などを見るとホントに自ら志願したのか、周りが特攻隊は神様と称えたり、政府や上官からの洗脳や圧力があり、『自らの志願』と言わないといけない空気だったのではないでしょうか?
物言わぬ証言者
写真の飛行機は、旧海軍の主力戦闘機として使用されていた零式艦上戦闘機です。
昭和20年5月にエンジントラブルによって不時着水し、水深約35メートルの海底に沈んでいたもので、機体の前方部分だけが残っています。
昭和55年6月、知覧町(現、南九州市)によって35年ぶりに引き揚げられました。
特攻隊員は、この戦闘機の中ではきっと本音を言ってたと思います(勝手な想像です)
戦闘機だけが特攻隊員の本音を聞き出せたのかもしれません。
特攻隊は生きて戻ると『臆病者扱いされる』
は?って感じですよね????!
友人にオススメされた『僕は、君のためにこそ死ににいく』を観た時に、ある特攻隊員が悪天候の都合上、特攻は不可能と判断して、一旦基地に戻りました。
そしたら、上官から「なんで戻ってきたんだ!!!」とぶん殴られるシーンがありました。
理由を説明しても「大和魂はないのか!!!」とさらに怒鳴って殴っていました。
そのシーンを見た時に危うくテレビの画面を殴りそうになってしまいました💦
目的と手段をはき違えている上司ってホントにめんどくさいですよね!!!!!!
友人ポートレート ~幸せとは~
友人は、先ほども書かせていただきましたが、過去にいじめや大変の病気を乗り越えて今も全力で生きています。そんな友人の周りには笑顔が絶えません。
そんな友人の夢は「昔っていじめというものがあったらしいよ」です。いじめをこの世からなくしたい!そんな夢を持って保育士を続け、保育士などの居場所のコミュニティを運営しています。
そんな夢いっぱいの友人を近くでみていると、知覧特攻平和会館で感じることがたくさんありました。
見たことのない明日へ飛んでいくのさ
自分は、明日は何をしようかな?
「明日のお昼ご飯何にしようかな?」
「明日何を着て行こうかな?」
「明日も○○ちゃんに電話しよう」
「明日は新宿御苑に写真を撮りに行こう」
「明日は・・・・・・」などと、見たことのない明日への夢と希望がたくさんあるということを特攻隊員たちから改めて学びました。
選択肢があるということはとても幸せなことなんですね😊
夜は明日へ抜けるトンネル
『明けない夜はない』、『やまない雨はない』などの言葉がありますが、特攻隊の場合は『夜が明けたら死』なんです!!!!!
見たことのない明日を迎えられること、さらに当たり前のことに感謝できることがとても幸せなことなのかもしれません😊
俺の幸せ ~改めて学ぶ保育の大切さ~
幸せとは?
人それぞれだと思いますが、僕は【楽しむ能力】だと思っています。
『選択できることはとても幸せのこと』と先ほど書きましたが、現代社会はネットワークの普及により情報が溢れて『情報に溺れてしまう時代』です。また、SNSの普及にもより相対的貧困も最近よく聞く言葉になりました。
情報が多くあることで幸せか、幸せと感じられないかの違いはなんなのか、、、、それは主体性だと思います。自分で考え、判断し、責任を負うという経験をたくさんしていればどんなことも楽しめると思います。
主体性の経験ができる環境作り⇒【異年齢】、【コーナー保育】、【自然教育】、【サークルタイム】などの手段がいくつかあります。
そして、それを取り巻く大人たちの環境によって子どもの成長が大きく左右されます。
保育者の無知は罪!
過激な言い方してますが、あくまで個人的な意見です。
僕が保育士としての向上心を忘れないために意識していることです。
ここでいう無知とは、知識が無い・・・・ということではなく【ともに学ぼうとしない】ということです。無知は何を基準にするかは人それぞれですが、ともに寄り添ってくれたり、受け入れてくれることは嬉しいはずです。
寄り添い方や受け入れ方も人それぞれだと思いますが、そうしてもらっていると分かった時はめちゃめちゃ嬉しいですよね😊
なので、僕は子どもたちと同じ目線でともに育ち、寄り添えるように『先生』とは呼んでもらっていません。同じ目線にできるだけなれるようにニックネームや名前で呼んでもらっています。『先生』と呼ばれるほど知識や経験をしていません。
大切なのは、お互いを尊重し合うことだと思っています。
なので、僕が思っている戦争映画などに出てくる無知な上官のように『思いやりがなく、上から目線でマウントとりがちな想像力のない人』のことです。
寄り添える保育者と環境
『ある5歳のA君の事例』室内にはクラスの子ども25人と職員2名
A君は、感情のコントロールが苦手で納得のいかないことがあると大きな声を出したり手を出してしまうことがあります。そのため、周りの友だちはA君に近づこうとしません。A君自身もなんとなく周りの空気が分かっていて一人で遊ぶことが増えました。
しかし、ある日友だちのB君を誘ってお化け屋敷をしようとするA君の姿が見られました。夏休みに家族で行ったお化け屋敷がとても思い出に残っていたようです。『どうやってお化け屋敷をするか』B君と話し合っていると「入れて」とC君とD君も参加して来ました。
どうやってお化け屋敷をするか話し合いの結果決まると、暗くするために別の部屋に行って電気を消しました。
※その時に保育者は『勝手に別の部屋に行くこと』『勝手に電気のスイッチに触る事』は日ごろのお約束としていけないことだと思い注意しようと思いましたが、A君の今の経験(コミュニケーションをとる楽しさ)を大切にしたいと思い、後で声をかけることにしました。別の部屋は様子はペアの保育者が見る。
お約束をいくつかやぶったA君でしたが、お化け屋敷の経験を機に友だちと積極的にコミュニケーションをとる姿が増えました。もちろん感情のコントロールが難しいことはまだまだありますが、保育者が仲介に入ることで以前よりは気持ちの切り替えができるようになったり、相手の気持ちを考える姿が増えてきました。
また、保育者と約束をやぶったことを4人で話し合うと「次からは段ボールで暗いお家でやってみよう」などと約束の中で友だちと提案し合う姿が見られました。
※配置基準により、致しがたい時がある。
以上の事例を見た時に赤文字の対応の仕方でA君の経験は大きく左右されたと思います。
この保育者は日ごろから子どもたちにとって『何が大切か、どんな経験をしてほしいか』常に同じ目線で寄り添っているため、約束をやぶったA君に対してすぐに注意せずに見守っていました。また、この園はしっかり共有も日ごろからされているため、すぐに連携もとることができていました。
これが、戦争映画などに出てくるような相手に寄り添わなく想像力が乏しい無知な上官とかだったら、すぐに注意してA君の経験を奪っていたかもしれません。
ルールや約束を守ることが目的となっているでしょう。ルールや約束は目的のための手段のはずなのに。
無知な上官のような関わりをしていると、子どもたちは幸せになるのでしょうか?
戦争映画を見る度に保育を振り返る
日ごろの関わりの中でも同調圧力をかけてないか戦争映画を見る度に反省しています。
たかむー:「今日は楽しかった?」
子ども:「楽しかった」
これって、言わせてないかな?子どもたちの心の声かな?などと常に振り返っています。
聞き方としては、「今日はどうだった?」と、どっちにも答えられる選択肢(コーナー保育の一環)がある聞き方の方が良かったかな?
などなど、ムカつく無知な上官にならないように、子どもたちの心の声が存分に発揮できる環境を常に自分自身に心がけています。
まとめ
知覧特攻平和会館や戦争映画を見るとついつい熱くなってしまって、過激な言い回しがあったと思いますが、あくまで自分自身の保育の向上のため初心を忘れないためにまとめたものです。
先人たちが命を懸けて残してくれた未来に感謝しながら、保育士をやっていることに幸せを改めて感じています。
今年度はいろいろあって現場から離れてしまいましたが、来年度は転職して再び現場に戻ることができます。現場に立てる幸せをかみしめながら、子どもたちと共に成長していきたいと思います!!!
ありがとう!!!知覧特攻平和記念館!!!!
ポートレートの練習に協力してくれた友人の旧Twitterです↓
長くなってしまいましたが、最後までありがとうございました。
今後もよろしくお願い致します。
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